なぜ「女の平和」なのか

横湯 園子

国会ヒューマンチェーン「女の平和」呼びかけ人

 

心の深奥で鳴る警鐘に

 

いつの間にか、政治が戦争への道へと動き始めていた。心の深奥で警鐘が鳴り出したのは特定秘密保護法が制定された頃からだった。

私の専門は教育臨床心理学であり、心理臨床家としては主として神経症圏内の子どもや青年を中心につき合ってきた人間である。特に不登校、ひきこもり問題は私にとって社会を見る“窓”になっていた。学校や社会で人間性が無視され、不適応を起こしている子どもや青年の数は尋常ではなく、ずっと昔、戦争前夜の徴候の一つに神経症の増大があると話してくれた元軍医であったと思われる精神科医の言葉もよみがえってきた。

そのような時であった。知人から、日弁連主催の「秘密保護法国際シンポジゥム―米安全保障専門家が語る知る権利と秘密保護のあり方」の案内メールが届いた。深奥の警鐘に怯えていた私はその日を待ったのだった。

モートン・ハルペリン氏はアメリカの安全保障の専門家として、知る権利に関する国際原則(ツワネ原則)の策定に深く関与し、秘密保護法の国会審議に厳しい批判のコメントを述べた人であるということを知った。

ツワネ原則は「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」の略称であるという。国連、アフリカ人権委員会、欧州安全保障協力機構の特別報告者を含む、世界70カ国以上の専門家が会議を重ねて、2013年6月に南アフリカ共和国のツワネで公表されたもので八項目からなっていた。

八項目中の七つ目の「内部告発者が刑事処罰から解放されることを法律上明確に保障しなければならない」や、八つ目の「ジャーナリストと市民活動家を処罰してはならず、情報源の開示を求めてはならないことを法律に明確に定めるべきである」という説明にどんなに安堵した

ことか。

さらに、氏は言う。日本が自由権規約19条の締結国である以上、ツワネ原則から、日本の秘密保護法がチェックを受ける、と。日本国民にツワネ原則が知らされていない状況下で安心はできないが、「ある」と「ない」では大きなちがいである。

 

氏の講演を受けて、元毎日新聞政治部記者の西山太吉氏との対談である。西山氏は既にメデアは批判力を失っている。負けるかどうかは市民運動がどうひろがるかである。それしか残っていないと指摘した。

浮かび上がってきた「女の平和」の文字

 

西山氏の指摘を反芻する日が続いていた時に、集団的自衛権の閣議決定である。心の深奥での警鐘が現実となった。

平和憲法のもとで、70年間、生命、生活、生存を守られてきた日本をアメリカといっしょに海外で「戦争ができる国」に変えようとするとは何ごとか。なぜ、殺し合いをさせるのか。なぜ、緑の地球を壊すのか。なぜ、命を愛おしむ声が届かないのか。どうしたら平和を願う声が

届くのか。悩み、問い続ける日が続いた。

それはまだ、晩夏の頃の夜明け前のことであった。目が覚めた私は、安倍首相はナチが政権をとってわずかな期間で独裁政治となったのを手本にしているのではないか。どうしたら……戦争を防げるのかと考え続けていた。ふっと気がつくと、「女の平和」という文字が浮びあがってきた。何とはっきりとした文字であったことか。

なぜ「女の平和」なのかを記す前に、まず私の戦争の記憶を記したい。父は治安維持法下で幾度か逮捕され、獄中で結核に冒され、仮保釈中に死亡。二九歳という若過ぎる死であった。私が一歳の時である。

シナリオラーター志望だったという母は詩人だった姉の影響を受けて文学サークルで父と出合っている。母は活動家ではなかったが、獄中の父の身元引き受入になるために新聞紙上で結婚宣言をして一族から勘当。その後、母の実家は没落し両親も死亡。母は思想犯の未亡人として辛酸を嘗めながら終戦をむかえている。

幼い頃の私は母の手を決して離さない泣き虫だったそうだが、母子をねらうグラマン機のパイロットの笑っている目、累々とした焼死体の中にいるかもしれない母親を探し歩く少年、終戦直後の食糧難などを鮮明に覚えている。焦土と化した国土と戦争孤児。母親のいた私は幸せだったのだと今にして思う。

私のような、否、私よりもっと、底なしの地獄を見てきた人は多いはずである。今、その絶望を語る時ではないか。戦争を知らない世代も憎しみより愛を、戦争より平和を願っているはずである。その願いを共に声にしたい。それが平和憲法に守られてきた私たち、日本人の声なのだから。

憎しみによる愛国心を煽って戦争をする為政者たちの手段は今も昔も変わらない。集団的自衛権の名によって日本が「戦争ができる国」になるなんてとんでもない。どうしたらよいのかと眠れない夜を過ごす人も多いのではないか。死者もまた、平和を願っているはずで、時に風の音となり雲間の光となって、時に「女の平和」の文字となって、私たちに語りかけているのではないか。

そう思った時、即、パソコンの前に身を移し、ウィキペディアで調べてみると、古代ギリシャのアリストパネスの戯曲『女の平和』とアイスランドのレッド・ストッキングの二つがあった。アテネとスパルタの戦争を終わらせるために女たちが手を結び、セックスストライキを行なうという内容の戯曲は教養書として聞いたことがあった。セックスストライキを呼びかけるわけにはいかないと、レッド・ストッキングに目を移した。

アイスランドでは1970年に古い因習を打ち破る運動がはじまり、国際婦人年の75年に女性の90%がレッド・ストッキングを身につけて休暇をとり、家事を放棄して女性の役割がいかに重要であるのかを訴え、大統領府前の中央広場を女性たちがうめ尽くすという歴史的な大集会があったことを知った。80年、民選による初の女性のヴィグディス大統領が誕生。86年、レーガン、ゴルバチョフ両大統領の直接平和会談がレイキャヴイビークでもたれ冷戦終結のきっかけとなるが、それを主宰したのが彼女であった(ウィキペディア、前田朗『軍隊のない国27の国々の人々』による)。

アイスランドで女性たちが立ち上がった“レッド・ストッキングの戦い”の史実に思いを重ねて、集団的自衛権を認めないというレッドカードを突きつける「女の平和」アクションを起こそうと思い、「横湯文」として綴った。

 思想信条、組織、政党・党派に関係なく、「戦争ができる国」になることに焦燥感や危機感を抱いている一人ひとりに呼びかけようと考えて、分野も職種も異なる女性に相談を持ち掛け、具体的に動きだしたのは初秋であった。呼びかけ人への呼びかけや打ち合わせ会議を重ね、12月25日の記者会見となった。

女からのレッドカードを。その日が歴史を変えるターニングポイントとなるようにしましょう。国会議事堂前に集まれない人はそれぞれの地域で、赤いものを身に付けて、「殺し殺されるのはイヤ」の声を響かせましょうと呼びかけた。もちろん、女性団体にも参加のお願いにあがったが、呼びかけはさざ波のように広がっていき、呼びかけ人は329名となった。

 

 

 

平和への流れを、確信しあう

1・17国会ヒューマンチェーン

 

当日は7000人をゆうに越す女性たちが集まり、安倍政権に「ノー」を突きつけた。日本に在住している外国人女性たちも参加していた。

集団的自衛権の行使は認めません! 殺し殺されるのはイヤ!

誰ひとり戦争には行かせません! 女たちは平和が第一!

国会正門前のスピーチコーナーでは兄が戦死した音楽評論家の湯川れい子さんの「人が人を殺してはいけない。どんなに小さな可能性でも日本が戦争に巻き込まれる国にしてはいけない」を皮切りに、澤地久枝さん、落合恵子さんを初めスピーカーの多くが戦争体験や平和について語り、沖縄、福島、横須賀からのリアルなスピーチ。「若者の平和への関心を高めたい」も共有しあった。

「女の平和」は全国に広がっていて、同日同時刻に札幌では雪降る街をリレートーク、長崎でも集会とリレートーク、岡山母親連絡会が呼応して岡山駅前で宣伝。仙台も国会ヒューマンチェーンを受けて3月3日に集会とデモ行進を予定している。

各種の新聞によると和歌山では毎月の街頭宣伝を「女の平和」に。山梨、石川、愛媛、奈良、香川、徳島の女性たちの取りくみが載っていた。

国会ヒューマンチェーンには参加できないが、赤い洋服を来て会議に出た人、職場に着ていった人、赤い物を身に付けて家族の介護をした人その他、首都圏だけでなく全国各地から電話やメールが届いている。まさにアイスランドの女性たちのとった行動と同じであった。

シカゴからも写真入りエールが届いた。ハワイ島コナでは女たちが赤いファッションで集まったというスナップ写真が送られてきた。即、「思えばハワイは、パールハーバーの地なのですね。日本が『戦争をしない国』であり続けるのを求める日本人がいることを、どうかハワ

イのみなさんにも伝えてください」と返信した実行委員もいた。

パールハーバー、太平洋戦争と言えば、「女の平和」国会チェーンには80歳、90歳代の女性の姿も見られた。全身赤のコートやショールもよく似合い輝いていた。

それにしても衆院選で政権継続が決まった途端に、安倍首相は集団的自衛権の行使だけでなく、憲法改正への言明である。憲法改正は「歴史的チャレンジ」であり、全身全霊で取り組むと言明した。

私たちも怒りの赤、情熱の赤、エネルギーの源の赤をもって、憲法を全身全霊で守り抜くことではないか。「諦めていたがつながる勇気をもらった」「人類も絶滅、地球も消滅するしかないと絶望しかけていた時にもう一度、チャンスをいただいた」などと併せて9条の会に関わっている男性の「組織に関わる人たちにとっても、新しい運動の可能性をしっかり示したと思います」という感想も届いた。

次回に備えて赤い古着を買ったなどの古着話など、今に至るも赤いファッション話に盛り上がる。この辺に斬新さがあるのかも知れない。